私は「吃音ノート」のことはずっと気にかかっていたが、しばらくかかわらずに過ごしてきた。
が、インターネット上の吃音の相談には私の考えを書き送っていた。
しょせん妄想にとりつかれたジジーのたわごとと見られるのが落ちだろうが、
相談者は苦しんでいるのだから、一応書くだけは書き、後は相談者の判断に任せたらよい。
しかしそのつど書くのは大変なので、回答のひな型を書こうと思いついた。
それを「吃音ノート」にも入れておこうと思う。
以前に書いたことをまとめたような文になってしまうが。
吃音は治りますかとか、吃音を治す方法はありますかという相談をインターネットでよく見ます。
幼少期に吃音を発症し、中学生高校生になっても吃っている場合、吃音を完治させることはむずかしいかも知れない、と私は思います。
しかし吃音を軽くすることはできるのではないかと思います。
そのことについて書きます。
ただし私は専門家ではありません。
たんに独自の考えをもっている一吃音者に過ぎません。
こういう考えもあるのか?という程度に読んでいただいて結構です。
私は3歳頃に吃音を発症し、70を越えた今も吃っています。
おそらく発症した素因はあるでしょう。
口の動きが遅く、咀嚼ものろいです。
ただし、以前は筆談せざるを得ないほどに難発がひどかったですが、今は吃音は軽くなっており、吃音で困っておりません。
日頃は吃音を意識せずに話しているし、初対面の人と話すのも平気です。
団地の会合で司会や議長を務めることもありますが、問題なくこなします。
にがてな言葉では難発になることもありますが、今は声がつまってしまう時間は大目に見ても1秒くらいですから、そう困ったことになりません。
かつ吃音は恥ずべきことではないと考えているので、吃っても気にしません。
私の吃音が軽くなった原因(間接的原因)は、ある程度世慣れしたこと(?)、私は吃っても気にしないこと、10年ほど前にある練習をしたことによるのではないかと思っています。
練習後、吃音はほぼ消滅しましたが、あるきっかけでまた復活しました。
しかしそれも自然に軽くなり、今に至っています。
もう1度練習したら、吃音はさらに軽くなるだろうと思いますが、現状でほぼ満足しているので、練習しておりません。
私は吃音の完治をめざしません。
私の軽減法は吃音の原因・仕組みに関するある推測に基づいています。
それを踏まえずに機械的に練習しても、効果は持続しないかも知れません。
ですから、理屈っぽいことを書かせていただきます。
現在、吃音の原因・仕組みはわかっておりませんが、私なりに推測(妄想)していることがあります。
それは、発話運動を遂行している最中にある種の失敗が起きた時、それを感知した脳のある正常な部位が後続するはずだった運動指令の発射を延期した結果、失敗を含む遂行中の運動指令が継続発射され、失敗が継続してしまうもの、それが吃音ではないかということです。
この過程はほぼ自動的に起きてしまうので、この自動的過程に介入して吃音を改善することはほぼ無理だろう、と私は推測します。
脳のこの部位は運動指令の発射の継続時間(または切り替えのタイミング)を高速に微調整している自動制御機構で、遂行中の運動指令を継続発射するか、または後続する運動指令の発射へ切り替えるか、この二択しかもたない単純なスイッチ機構であるとするならば、後続する運動指令への切り替えを延期することは遂行中の運動指令を継続発射することと同じです。
この機構はもともと発話の時間制御をこのように日常的に行っている機構であって、吃音時にのみこのように働くものではないだろう、と推測します。
吃音は心理学者がいうような回避反応ではないと私は考えています。
吃音が何故かくも強固に起きてしまうのかを考えると、吃音はむしろ話す努力や話す行為に内在する問題とみなす方が無理がないと考えます。
吃音とはすでに遂行されている失敗を含む運動の部分が継続してしまうものであると推測しますが、難発も、発話運動を恐怖で引き留めることではないし、発話運動をしようかしまいか葛藤することではなく、連発や伸発と同様、すでに遂行している発話運動の失敗を含む部分が継続してしまうものであると推測します。
語頭の音はすでに遂行されている発話運動の結果として音がでるのですから、語頭の音がでる以前にすでに発話の準備的運動は遂行されています。
そこに失敗(とくに各筋運動のバランスの失敗)があるなら、私の推測では、その失敗を含む運動の状態が継続し、難発が発生します。
その失敗は非常に微細ですが、それが何故シビアに感知されるのかというと、それは発話運動におけるモーラの等時性を守るためではないか、と私は推測します。
では、吃音はどのようにして改善されうるのかですが、吃音は発話運動を遂行している最中にある失敗が起きた時、それを感知した脳のある正常な部位によって自動的に引き起こされるというのが私の推測ですから、吃音のきっかけになる発話運動のある種の失敗を起こさないようにすることが吃音の改善につながると考えます。
従って、吃音のきっかけになる失敗とはどういうものかを探ること、さらにいうと、なめらかな正常な発話運動とはどういうものかを探ることが重要だと考えます。
吃音だけを考えていても吃音の改善にはつながらないと考えます。
次に、そもそも吃音のきっかけになるある種の失敗は何故起きるのかですが、それはさまざまな原因で起こりうることで、一律にはいえないと考えます。
それは吃音のきっかけであって、まだ吃音ではなく、いわば吃音の間接因ですが、それはさまざまな原因で起こりえます。
私は口蓋裂から派生する失敗に起因すると思われる吃音を3例ほど見たことがありますし、私自身は酒に酔って微妙に呂律がまわらなくなると吃音が頻発します。
次に、その失敗はどういう種類の失敗なのかですが、発話内部でタイミング制御をしている脳のある正常な部位が感知・判断する種類の失敗、とくに時間制御にかかわる失敗に限られる、と推測します。
それはたとえば母音がでるタイミングの失敗です。
一方、「たまご」を「たなご」といい間違える失敗では吃音は起きません。
吃音を直接的に引き起こす脳のその部位は、脳が分業でプログラミングした運動指令を統合された形で受け取り、その最終出力の時間制御を微調整する部位ではないかと推測されますが、その部位が受け取った統合的運動指令を遂行すると、あるべきはずの母音が欠落するとか、調音結合に失敗するといった失敗が起きる場合に、脳のこの部位は失敗を感知・判断して吃音を引き起こす、と推測します。
仮に脳のこの部位に欠陥があるならば、失敗を感知・判断できず、吃音を引き起こさないだろう、と推測します。
つまり脳のこの部位の責任で発話運動内部のタイミング制御に失敗するから吃音が起きるのではなく、この部位が受け取った統合的な運動指令内部に欠陥があるから、脳のこの部位はそれを正しく感知・判断し、後続するはずだった運動指令の発射を延期し、その結果として吃音が発生する、と推測します。
吃音を直接的に引き起こす脳の部位は正常である、と推測します。
吃音は失敗に対する一種の補償作用として2次的に発生するものである、と推測します。
なお、私は吃音のきっかけになる発話運動のある種の失敗はさまざまな原因で起こりうる、つまり吃音の間接因はさまざまでありうるが、吃音の直接因はただひとつであると推測します。
それは発話運動を遂行している最中にある種の失敗が起きた時、それを感知した脳のある正常な部位が後続するはずだった運動指令の発射を延期すること、それが遂行中の失敗を含む運動の部分の継続になってしまうこと、これが吃音の唯一の直接因だろうと推測します。
私は「吃音ノート」というブログを書いていますが、吃音のきっかけになる失敗の例については、
「連発について(2)」
https://koiaus.hatenadiary.jp/entry/2021/08/29/183837
「調音結合と吃音について」
https://koiaus.hatenadiary.jp/entry/2021/10/08/192508
に書きました。
私の推測では、吃音のきっかけになる失敗を起こさなければ、吃音は発生しないことになります。
ですから、正常な発話運動はいかにしてなめらかに進展するのかを探求することこそが重要であると考えます。
吃音者は吃音体験を重ねることで、適正な発話運動イメージを見失い、吃音に抗って話す運動イメージをもつようになります。
それはかえって発話にかかわる諸筋肉のバランスを崩し、発話をなめらかに進展させる調音結合を壊しますから、吃音がさらに悪化する悪循環をもたらします。
多くの吃音者は吃音が悪循環的に悪化した状態にあります。
仮に、なめらかな発話運動イメージを回復し、それを定着させることができるならば、少なくとも吃音が悪循環的に悪化した分は改善できるのではないか、と私は考えます。
なお、吃音者は吃ることを予想すると吃りやすくなります。
吃音の予期とは、心理学者がいう不安や恐怖の問題ではなくて、運動イメージの問題であり、かつそれに導かれた諸筋肉の問題である、と考えます。
私の体験では、吃音の予期に不安や恐怖が伴うとは限らないし、吃音の予期では語頭の音をいう運動イメージが優勢になっており、それが調音結合を壊している、と考えます。
10年ほど前、私はおそらく1日に1~2時間ほどの発音練習を1~2カ月続けたと記憶します。
そのやり方は、「吃音の軽減について(2)」に書きました。
https://koiaus.hatenadiary.jp/entry/2021/11/07/130607
なめらかに正常に話す運動は語頭の音をだす以前からすでに始まっていますから、その最初の過程を重視します。
発話運動は失敗が起きた時に発話運動を遂行したまま失敗を修正できるタイプの運動ではありません。
つまりその意味でフィードバック制御ができるタイプの運動ではありません。
発話運動は一息でいう範囲の末尾の音にいたるまでをなめらかに展開できるようにあらかじめ諸筋肉のバランスを整えてからスタートするタイプの運動です。
つまりフィードフォワード制御的な側面をもつ運動です。
従ってスタート時に諸筋肉の微妙な調整を必要としますから、スタート時に失敗しやすくなります。
発話運動の始めの部分で吃音がでやすくなります。
私は吃音は恥ずべきことではないと考えるし、吃っても気にしませんが、これについては「吃音は恥ずべきことか、情けないことか?(2)」に少し書きました。
https://koiaus.hatenadiary.jp/entry/2022/01/02/164715
少し補足します。
私の推測では、発話運動にある種の失敗が起きた時、脳のある正常な部位がそれを感知・判断し、吃音を引き起こします。
脳のこの部位は発話運動の自動制御にかかわっている部位ですが、この部位は脳の高次中枢に属しますから、いろいろの入力を受けるでしょう。
吃音を怖れる気持ちが強ければ、あるいは完璧壁が強ければ、脳のその部位が失敗を感知・判断しやすくなり、吃音が頻発しやすくなるのではないか、と考えます。
また吃音を怖れる気持ちが強いと、発話運動イメージが吃音に抗って話す運動イメージになりやすくなり、それ自体が発話運動の失敗につながるでしょう。
ですから、吃音を怖れる気持ちが強いと、吃音は悪化しやすくなります。
吃音は発話運動のある微細な失敗をきっかけに起きます。
その失敗はたとえばある筋運動のタイミングがほんの0.07秒遅れたというレベルのものだろうと推測します。
人には器用不器用がありますから、こういう微細な失敗を犯しやすい人が一定の比率でいてもおかしくありません。
あなたはこういう微細な失敗を犯しやすい自分を恥ずべき人間だと見なし、自分を罰しますか?
私にいわせると、吃音は微細な失敗をきっかけに脳の正常な部位が制御論的に引き起こしたものです。
脳のその部位が微細な失敗を許容しないから、補償的に引き起こしたものです。
その意味では吃音には合理的な根拠があります。
ただし脳のその部位は運動指令の最終出力の時間調整をしている部位であって、失敗を含む運動指令の再編集の役割はもっていませんから、その対応はかえって吃音という目立った形で起きてしまいます。
それは、比ゆ的にいうと、抗原に対して自分を守る免疫機構が働いて、アレルギー反応が起き、かえって事が大きくなってしまうようなことです。
あなたはそれをあなたの人間性の問題と考え、自分を恥じ、自分を罰しますか?
発話運動は自分の考えを言葉を選んで表すものですから、その意味では随意運動ですが、しかしその細部までを意識的に制御しているかというと、そうではないでしょう。
通常の自然な発話では1モーラ(俳句の5・7・5の単位である1拍)の継続時間はほぼ0.15~0.2秒です。
1音は複数の種類の筋運動の組み合わせからなりたっていますが、その組み合わせのタイミングの許容幅は非常に狭いでしょう。
私たちはそういう細部は脳の自動的な働きにゆだねています。
一方で、私は吃音を軽減するには適正な運動イメージで練習しなければならないと主張します。
その運動イメージは各筋運動のタイミングまでをイメージするものではなく、単になめらかに調音結合して話す運動イメージです。
でも、結果的には各筋運動のタイミングの制御につながっていくものだろうと想像します。
発話運動は意識的な制御と非意識的な制御が見えないところでつながっているのだろうと想像します。
追記
私は団地の自治会の役員を5年ほど勤めてきた。
他にしたいことがあるから辞めたいと以前からいっていたが、役員を引き受ける人がいないので、仕方なく引き受けてきた。
私の任務はかなり多く、そのすべてをきちんとこなすのはほぼ無理だった。
そして今回、幸か不幸か、腹の立つことが起き、いろいろごたごたしたが、ついに辞任した。
私が腹を立てたもっともな理由はあったし、他にしたいことがあることは他の役員にもそれとなく知られていたから、辞任はやむを得ないと受け止められたようだ。
ただし一部のことについては引き続き協力する。
このところ私はうつ的になっており、食事をまともに食べていないし、辞任した後ろめたさもあるから、まだ晴れ晴れした気持ちにならないが、ついに解放された。
www.youtube.comEddy Arnold- Cattle Call
www.youtube.comAlabama - The Louvin Brothers
www.youtube.comOh Lonesome Me
www.youtube.comGeorge Hamilton IV - Abilene
www.youtube.comTennessee Waltz
www.youtube.comTennessee Waltz
発音が明晰だ。めりはりの効いた正確な歌い方。しぶい。