吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

難発について、およびブロックという用語について

吃音には声がでなくなる難発という症状がある。
この難発の状態はブロックと呼ばれている。
blockという英語には、名詞では硬い塊、動詞では阻止する、塞ぐという意味がある。
ブロックには硬い塊で流れを塞ぐというニュアンスがあるように思う。

吃音にブロックという用語を使うと、声の流れを塞いで阻止するという、一種の心理学的解釈が混入するということはないだろうか?
つまり、吃音者は吃音を怖れて自ら発声を阻止することで難発になるというような解釈が混入するということはないだろうか?
考えすぎだろうか?

ブロックでは声門の閉鎖が起きていると思われがちだが、声門の開大が起きている場合もある。
それは発話運動のどの過程でブロックが生じるかによって違ってくる。
これは私自身の吃音を観察しても自覚できるが、今日、それを裏づける論文を見つけた。
「吃音症のブロック発生時の声帯運動」という論文である。
そこでは、ブロック発生時の声門の状態を観察したところ、声門が閉鎖している場合が50%、開大している場合が50%と報告されている。

その論文の図3に、大脳から声帯内転筋にいたるまでの発話指令の流れの模式図が描かれている。
それによると、過緊張性発声障害では大脳から発した発話指令は橋・延髄を経由して声帯(内喉頭筋)にまで達するが、吃音では発話指令が停止され、音声は停止し、声帯位はさまざまであると記されている。

しかし難発において発話指令は停止されているだろうか?
そんなことはないと私は思う。
吃音者は難発時の硬直状態においても、発話を停止しようと思えば停止できるし、停止してしまえば難発も消失する。
発話を諦めて停止すれば、どんなに強固な難発の硬直状態であっても、筋肉がぶるぶる震える状態であっても、それらは速やかに消え失せる。
だから、難発は連発や伸発と同様、発話を遂行している過程で生じている。
それは、A→Bと推移する発話において、Aの運動指令が継続発射され、Bへ移行できなくなるということではないだろうか。
私の考えでは、Aには失敗が含まれているから、Bへの切り替えがキャンセルまたは延期されてしまう。
すると、発話が停止するのではなく、Aの運動指令の継続発射が起きる。
Bへ移行できないから、一見発話の停止に見えるが、停止ではない。
Aの運動指令が継続発射されており、発話運動は継続している。

連発も伸発も難発も、失敗を含む運動指令が継続発射されるものであることは同じであるが、難発は声を発する直前の諸筋肉の状態にかかわる運動指令が継続発射されるという点だけが連発や伸発と異なっている、と私は思っている。
難発は話す直前の諸筋肉のバランスが不適切な時、それを感知した脳が次の運動指令への切り替えを自動的にキャンセルまたは延期してしまうため、話す直前の不適切な運動指令が継続発射されることで起きる、と思っている。

発話運動の失敗は筋運動感覚や聴感覚を通じて脳が判断する。
そういう感覚情報は脳にフィードバックされるが、しかし発話運動は運動を継続したままフィードバック制御で失敗を修正することができないタイプの運動である。
発話運動はもし失敗があれば、一旦発話運動を打ち切り、最初からやり直さなければならない。
発話運動を継続しながら失敗を修正できるのであれば、吃音は起きない。
かつ、吃音は発話運動が継続している状態で起きている。
吃音を不合理なものと考えずに説明するのであれば、吃音はフィードバック制御によって運動を継続したまま失敗を訂正しようとしてまた失敗をするものであるという説明もまた退けなければならない。

では、脳は発話運動においてフィードバック情報をどのように活用しているのだろう?
それは、諸筋肉に対する運動指令の継続時間、いい換えると後続する運動指令への切り替えのタイミングを測るために活用されているのではないか?
これはミスを修正する制御とは違う。

次に、失敗を含む運動指令を継続発射するのは脳のどの部位だろう?
それは発話という枠の中で細部を微調整している部位ではないだろうか?
それは発話の内部で各筋肉を制御する運動指令の切り替えのタイミングを制御している部位ではないだろうか?
思い切っていうと、私は小脳を予想している。
大脳と連携して運動を微調整する小脳の働きを予想している。

参照文献
菊池良和・梅崎俊郎・安達一雄・小宗静男:吃音症のブロック発生時の声帯運動. 喉頭 25:79~82.2013 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/larynx/25/2/25_79/_pdf