吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

吃音は恥ずかしいことか、情けないことか?(3)

私は吃音は恥ずかしい、情けないという感情・考えをほとんどもたない。
これは私の個人的資質も関係しているかも知れない。
それもちょっと書かせていただくが、生き恥の多い人生をさらすようなことなので、差支えのないように書く。
苦しんでいる吃音者に訴えたいことがあるので、脱線気味のまとまりのない文章になると思う。

幼少期

親の話しでは、私は3歳頃に左利き矯正のために左手を縛られ、それから吃りだした。
幼少期の記憶は少ないが、私はあまり話さない子供だった。
親に甘えない子供だった。
自分は愛される資格のない子供だと思っていた。
私は家庭内でうちとけた関係を築くことなく成長した。
これは私の個人的資質の根底にあるのだろう。

私は右半身だけ病的にくすぐったがる。
左半身は大丈夫だ。
この病的なくすぐったがりのため、床屋に行かないし、満員電車に乗るのを嫌がるし、健康診断の時も困る。
これは幼少期の強引な利き手矯正の後遺症ではないかと疑っている。
年少の頃は左右の足の踏み出しのリズムが取れず、跛行気味に歩くこともあった。
基本的には私は左利きのままではないかと思う。
身体全体のバランスを要する動作では左利きである。

小学~大学まで

小学ではやんちゃにふるまうようになった。
家庭でのふるまいとはギャップがあった。
私は先生から「どうして家では親に甘えないの?」と叱られたことがある。
母が先生に相談したらしい。

私は吃音でバカにされたり、いじめを受けたりしたことがない。
小学時代、音読で吃っても気にしなかった。
それは自分はクラスで受け入れられているという意識があったからだろう。
そのうちに勉強がおもしろくなり、頭でっかちなタイプと見られるようになり、不器用さは大目に見られた感があった。
友達はたくさんいた。
しかし役員に選ばれ、難発で立ち往生してから、役員に選ばれないようにふるまうようになった。
勉強を避けるようになった。
この時、吃音は情けないと思った。

中学、高校時代、やはり役員に選ばれないようにふるまった。
そして落ちこぼれ同然となったが、それでも友達は少なからずいた。
まじめなタイプとも悪っぽいタイプとも親しかった。

私は本来は社交的なタイプでないと思う。
それなのに何故友達に恵まれたのかと思うが、正直さや独自性があったせいかも知れない。
当時、洋楽に熱中していたが、洋楽にうるさかった。

中学の時、母が亡くなった。
私を心配した先生が「日記を書け」と強い口調でいったので、日記を書くようになった。
以来、日記を半世紀以上書いている。
私は日記を書くことで自分の考えを整理し、その後の困難を乗り切ってきたと思う。
今まで生きてこれたのは日記のおかげだと思っている。
日記をつづける秘訣は、自分に甘すぎず、厳しすぎず、バランスを保った書き方をすることだと思う。
人にそういうバランスをもって接するなら、よい交友関係が生まれるだろう。
日記を書くことは自分を自分のよき友にすることである。
書くことがなければ1行でもよい。
完璧を求めるとつづかない。

当時から、私は吃音は精神的な理由で起きるとはあまり考えていなかったと思う。
それは自分はどちらかというと冷静なタイプと思っていたからだ。
昔は理科少年だったが、因果関係を物質的に考える素地が今も残っているような感じがある。

やがて何とか大学に入り、過去を反省し、クラスの自治会委員に立候補した。
クラスで議長を務めたが、吃音を公言し、難発で言葉がでない時は黒板に書きながらゆっくり発音した。
吃っても平然としていた。
何故、平然としていたのかと考えてみると、いくつか思い当たる。

まず、私は非生産的なことを嫌う。
問題があれば考えて解決すればよいのであって、悩むこと自体は下らないと見なしていた。
当時、私は行動的だったが、あなたは弱者の気持ちがわからないといわれたことがある。
もともと愚痴をいわないが、それは愚痴をいうのは無駄事と見なすからだ。
ある人に腹がたって仕方がない時は、ああいう馬鹿のために自分の精神状態を損なうのは馬鹿馬鹿しいと考える。
こういう一種の合理主義的?なところがある。

人の目をあまり気にしない。
これは吃音が関係していると思うが、幼少期から人の相互理解をあまり期待していない。
誤解・無理解が世の常態だと思っている。
集団への帰属意識はさほど強くない。
自分は自分と考える。
しょせん孤独と思っている。
人との関係に固執しない。
ただしざっくばらんなところもあり、人には普通に応対する。

また、自分の人生を顧みて、仏教の「空」という考えに共鳴するようになった。
それは仏教を信じることではなくて、世界観の問題である。
私がこのようになったことにはいろいろな事情が絡んでいる。
私の内部にも私の環境にも私が知りえない無数の事情がある。
これを深く考えていくと、私が私である根拠を私の中に認めることができなくなる。
とはいっても私の責任がまったくないとはいえない。
しかし、ここからここまでが私の責任だという境界線は引けない。
こういう矛盾を含んだ考えが私が理解しているつもりの「空」である。
「空」という考えから、成功したものは己惚れてはいけないし、失敗したものは卑下してはならないという考えがでてくる。
罪を憎んで人を憎まずという考えもでてくる。
この考えは私に心のゆとりをもたらしてくれていると思う。

大学中退とそれ以降

私の人生は変化に富んでいる。
その後、自分の進むべき道がわからず、悩むようになった。
重度の吃音があり、若い時期から自分を抑圧してしまったから、取り柄がない。
かつ子供の頃から不眠症があり、大学時代は不眠症が深刻だった。
眠れない日がつづくと精神状態が悪化し、自殺願望にとりつかれてしまう。
思うに任せないわが人生が思い起こされ、無力感と厭世感がひどくなり、朝に起きられなくなる。
大学を中退し、それからいろいろあった。
言友会という吃音者のセルフヘルプグループに入会していた時期もあった。
やがて零細な工場に入って機械を扱うようになったが、眠れない日がつづくと精神状態が一気に悪化し、自殺願望にとりつかれ、無断欠勤する。
前日に同僚と談笑していても、そうなる
こうして、転職を重ねた。
転職により、いろいろな人と職場を見てきた。

やがて、それまで避けていた睡眠薬に助けを求め、それで眠りを確保するようになった。
また、認知療法や人生訓などの本、大野裕之新渡戸稲造ナサニエル・ブランデン、竹内均、篠木満、櫻木健吉、中村天風、平澤興などを読んだ。
しかし読むだけでは駄目で、具体的に日頃の自分の考え方を修正していかなければならない。
修正すべき自分の考え方にも一面の真理があるから、それをも包括する合理性のある考え方を身につけていかなければならない。
さらに思い切って仕事も変え、生活環境を変えた。
これでほぼ心の病から脱却したようだ。
私の心の病は人生経緯による無力感や厭世観の影響もあるが、多分に不眠症によるものである。

苦しい時期に得たことは、簡単には言葉にできないが、それとなく生きる支えになっていると思う。
私はちょっとやそっとのことでは動揺しなくなった気がする。
空気や水のような当たり前なものこそはありがたいと思うようになった。
道は近きにあり。
泣くも一生、笑うも一生。
ありきたりな言葉だが、そう思う。
ものは考えようで、人生に無駄なことはない。
しかし考えようによっては無駄になる。
塞翁が馬。
目先のことで一喜一憂せず、一歩一歩の歩みを実感すること。
心に残る言葉をノートにいろいろ書きとめていたが、少しここにも書いておこう。

“できると信じなさい。そうすれば建設的に考え始める”
“道はある。これしかないと思わない。解決の道は必ずある”
“どういう結果になってもやっていけるというような心のもち方ができるかということ”
“他人に依存するから不安になる。自立すること”
”過去や他人の意志などは自分のコントロールの範囲外のことであり、そういうことを思い煩うと、自己有能感を損なう。自分のコントロールの及ぶ範囲内に集中してこそ、自己有能感を高めることになる”
”相手を世間一般と思うと、相手は化け物に見えてくる。相手と一対一で差しで勝負していくつもりで対応すること”
“落ち着いた人になることである。落ち着くとは神経質にならず、伸び伸びとやることができるようになることである”
“困難にぶつかって過剰反応することでさらに問題をむずかしくすることは、よくあることである”
“広い視野で見ると、弱点自体はそれほどの弱点ではない場合が多い。弱点を隠そうとする守りの姿勢がむしろ弱点になっている”
“自負心のある人は自分自身と闘っていないので、言葉や動きは自然に楽に出てくる。その言説と態度、動きが調和している”
“満ち足りた人となるには誇りをもつこと。それは何も特別なことではない。人との約束を守る。人の悪口をいわない。 夢をもって前向きに生きる。自分に恥じることがないこと”
“人生の奥義の9割は快活な精神と勤勉にある”
“何でも好きになるのが一番”
“人間関係の基盤はおおらかさにある”
“考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば心が変わる。心が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる”
“常に改造が必要である。棄てておいて永持のするものは一つもない”
“やらなければならない嫌なことがある時、それを避けていると、嫌な思いを引きずるだけでなく、自分が自覚する以上に自分を傷つけている”
“小課題を設定し、達成感をもつ”
“仕事を始める時は気が乗らなくても機械的に始める。しばらく続けてマンネリ化してきたら中断し、別の仕事に向かう。切り替えが大事”
“ストップウォッチを手元におき、15~20分を単位として課題に取り組む”
“本当の思いやりは相手に生きる勇気を起こさせる”
“私がいることが誰かの幸福につながっている。そう思える人をなるべくたくさんもつこと”
“自分が生きていることがただ一人の人間に対してプラスになるのであれば、自分は無価値ではない。その一人の人間とは自分自身であるとしても、同じことである”
“人生の目的は一歩づつの過程を楽しみながら、愛情のある暮らしを送ることである”
“小さな喜びを積み重ねていくことが自分をいつも幸福な状態にする基本である。人生の大部分は小さなことの積み重ねである”
“毎朝、楽しいことを期待して起きられるか”
“今日は明日の何倍もの値打ちがある”
“人生とは一日一日のことである”
“朝には希望と張りあいをもって仕事をはじめ、夕には充足感をもって仕事を終える。感謝をもって緊張をときほぐし、静かに喜びながら萬物を拝む気持ちになることです”

今も睡眠薬は欠かせないが、眠りは何とか確保している。
吃音は軽くなった。
貧乏だが、かつてなかったような穏やかな生活を送っている。

吃音は情けないことか

吃音を恥じないとしても、吃音は情けないと思うことはあるかも知れない。
私も、吃音がひどかった頃、子供がいとも簡単に「お早うございます」といっているのに、自分はそんな簡単なことすらできない、情けないと思った。
吃音がひどい場合はそう思うのは無理もないところがあるが、しかし吃音は一種の障害だから、仕方ないと私は考える。
障害があることで私自身を際限なく責め、傷めつけ、それでどうなるというのだろう?
他人はそんなに私を責め続けるだろうか?
自分こそは自分の最良の友でなければならないのに、自分が自分を弱らせる最悪の敵になるというのは、愚行の最たるものではないか?
自分にできないことを嘆くより、自分にできることを伸ばすことを心がけるべきだろう。

私は子供にできない多くのことができるし、多くのことを知っている。
また私にしかできないこともあるだろう。
自分の独自性をはぐくむことは大事だと思う。

治す努力の否定、治す努力

以前に少し触れたが、20代後半、吃音者のセルフヘルプグループ「言友会」に加入していた。
加入する少し前、私は「治す努力の否定」という考え方を知った。
それは、吃音があってもできることはあるのに、吃音を言い訳にしてできることもせず、ただただ吃音が治った暁を夢見て治す努力を続けるというあり方を批判する考え方である。
まずは今ある吃音を受け入れて生きてみようという考え方である。
吃っても、人としてなすべきことはしようということでもあると思う。
私はこの考えに賛成である。

インターネットで若い吃音者の悩みを見ると、何でも吃音のせいにし過ぎていないか?と思うことがある。
吃音を隠そうとすると、どうしてもぎこちなくなる。
ぎこちなさはすぐに相手に伝わってしまう。
吃ってもいいから、自分を正直に出す方が好感をもたれると思う。

若い頃、ジョギングしている人から「おはようございます」と声をかけられたことがあった。
私は返事できなかった。
その人はちょっと悲しい顔をした。
それでその人を追いかけ、吃りながら、言葉がスムーズにでないことを話した。
その人は了解した。
吃音があるから何もできないということはない。
声がでないなら、筆談でもよい。
私は筆談で自分の意思を伝えたことが何度もある。

インターネットで就職の悩みもよく見る。
昔、私は面接で吃音があることを最初から伝えたし、筆談したこともあった。
吃ったらどうしようではなく、吃ることは確実だから、それを踏まえて対策をたてた。
製造の仕事についたが、それは吃音も一因だが、もともと自然にかかわる仕事、もしくは製造の仕事が好きだからだ。
仕事の現場に潜むいろいろな問題をことさらにひねり出し、自宅で寝食を惜しむほどに熱中して考えたことがある。
私は私しか扱えない機械を扱っていたし、同僚を手助けすることもあった。
吃音者はよくコミュ障を気にするが、仕事さえできたら信頼され、コミュ障は大目に見られる。
仕事力をこそ気にすべきだ。
気にすべきことを気にせず、気にしなくてよいことを気にするというちぐはぐさがあれば、当然、世の中でうまくいかなくなる。

私はできれば部屋に籠って本を読んでいたい。
顔そのものが気難しい。
眉間の縦皺がものをいう。
今は巨大マンションの管理清掃のパートをしており、居住地では自治会で役割をもっており、多くの人と接している。
なるべく公正にふるまう。
陰口をいわない。
困っている人がいたら助けようとする。
顔が気難しかろうと、コミュ障があろうと、そういうところを示していれば、徐々に人間関係はよくなっていくのではないだろうか。

ところで、45年ほど前の言友会にも「治す努力の否定」の精神で治す努力をすればよいという人たちがいた。
一緒に発音練習しようと誘われたことがある。
私を誘った人は会社員で、外部と交渉する仕事をしていたから、吃音を治したかったのだろう。
しかし当時の私は有効な発音練習はまだ見つかっていないと考えていたので、誘いに乗らなかった。

しかし有効な方法があるならば、治す努力をしてもよいと私は思っている。
吃音がひどくて生活に支障をきたしている人が症状を軽くしたいと思うのであれば、その有効な方法があるならば、その努力をしたらよいと思う。
ただし吃音を口実にしてできることもしないようでは、効果は乏しいと思う。

吃音を恥じないことは吃音軽減の必要条件といってよいかも知れないと私は思っている。
吃音は脳の自動制御的な働きで起きると私は思っているが、その自動制御機構は脳の高次機構に属するからいろいろな入力を受けるだろう。
それによって過敏に働くことはありうると思っている。
吃音を恥じ、吃ることを怖れていると、あるいは過剰な完璧壁があると、微細な失敗に過敏に反応し、吃音が起きやすくなるかも知れない。
その意味でも吃音を恥じてはならないと思っている。
しかし吃音を恥じないことは吃音軽減の必要条件であるが、十分条件ではないと考える。
従って、吃りを気にせずに話していたら徐々に軽くなるとまではいいきれないと思う。
だから吃音軽減の訓練はしてもよいと思うが、しかしやり方を間違うと時間の浪費になり、がっかりするだろう。

吃音は完治はむずかしいかも知れないが、多くの場合、軽減しうるのではないかと私は思っている。
私は完治していないが、非常に軽くなっているし、吃っても気にしないので、治す努力をしていない。
めんどうくさいので、していない。

人は変わりうる 

若いうちはどうしても同世代の仲間と自分を比較してしまう。
そして焦り、絶望感にとらわれやすい。
かつ、こういう自分が今後もずっと続くと思いがちである。
私もそうだったが、若いうちは近視眼的になりがちである。
しかし後で思ったのは、もっと大局的に今後を見据え、体勢を立て直すべきだったということだ。
若い頃の私は自分の余命を数年と思っていた。
ところが予想外に生きのび、とうとう70を越えてしまった。
そして若い頃の私からは想像できないほどに吃音が軽くなり、かつ社会的な役割をもつようになった。
私は春の団地の総会で司会を務めることになっているようだ。
私ですら変化してきたのだから、とくに若い人たちは現状がずっと続くと考えるべきではない。
絶望してはならない。

私は貧乏老人だから私を負け組と見る人もいるだろうが、私は考えさせられることの多いおもしろい人生を送ってきたと思っている。
後悔はしていない。
後悔は無駄事である。

若い頃から吃音に関する仮説(妄想?)らしいものをもっていたので、その裏づけをえたいということが生きる支えになっていた。
その意味では、吃音は生きる支えになっていた。


Sicilienne (1995 Remastered Version)

youtu.be

少し物憂げだが、つつましやかな、愛すべき曲。

Sicilienne - Maria Theresa von Paradis (1759-1824)

youtu.be

ファゴットのおおどかな音が大好きだ。