吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

DAF吃音を体験して考えたこと

私は日頃は団地や身辺の雑事に追われており、吃音のことをまったく考えていない。
人と話す時も吃音を意識していない。
すると自然に「吃音ノート」のことはどこかに消し飛んでしまう。
また、記事を書く以上はなるべく文献を読んでおきたいと思うと、書くのが億劫になる。
それで、むずかしく考えずに、記憶していること、思っていることを書こうと思う。
もともとそういうつもりでブログを始めたが、ついむずかしく考えてしまう。

私がDAFを体験したのは今から46~47年ほど前。
知人が言葉の教室の先生?あるいは言語聴覚士?のところにあるDAF装置を使わせてくれた。
それは職人的な努力でテープデッキに遅延装置をとりつけたものだった。
自分が発した音声が遅れてヘッドフォーンから聞こえる。

ここで簡略にDAFについて説明する。
DAFはDelayed Auditory Feedbackの略で、遅れた聴覚情報のフィードバック、いい換えると聴覚情報が遅れて知覚されることである。
1950年、Bernard S LeeがDAFの条件下では吃音のような話し方になるという論文を発表した。
この論文は注目され、DAFに関する研究が盛んになった。
そして吃音者には内在的な聴覚の遅れがあり、それで吃るようになるのではないかという見方がでた。
また、DAFによって吃音者の吃音が減少する場合があることも観察されたことから、DAFを吃音治療に用いようとする考え方も生まれた。

DAFによって発生する吃音をDAF吃音と呼ぶ。

まず、私はDAFを体験する前に吃音をどう考えていたかを書く。
吃音は失敗をきっかけに起きると考えていた。
吃音は失敗を訂正しようとして再び失敗するために訂正が累乗的に重なっていく現象ではないかと考えていた。
しかし後でその考えを否定するようになった。
それは吃音を直接的に引き起こす脳の部位は発話運動の遂行を高速で微調整している部位、最終出力を微調整している部位であって、発話のやり直しや再プログラミングの役割はもっていないと考えるようになったから。
また、伸発は失敗を訂正しようとして累乗的に訂正が重なっているものではなくて、たんに遂行中の運動がそのまま継続しているに過ぎないと思われたから。
ただし私は今も吃音は失敗をきっかけに発生すると考えている。
が、今の私は吃音は失敗を訂正しようとする反応ではないと考えている。
次に、吃音は反射的自動的に起きると考えていた。
少なくとも連発と伸発はそうだと考えていた。
もっと後になって難発も反射的自動的に起きると考えるようになった。
難発時に無理に発音すると連発様あるいは伸発様の発音になることがある。
それらは努力性を伴っており、反射的自動的ではない。
それらは難発から2次的に発生した発音であって、本来の反射的自動的な連発や伸発とは区別すべきだと思っている。
私は今も吃音は反射的自動的に起きると考えている。
連発も伸発も難発も、今遂行した運動が反射的自動的に継続する(あるいは繰り返される)という単純なものだが、私たちはとかくそれに抗う努力などを含む複合的なものを吃音として見ているのだろうと思っている。
なお、吃音は恐怖心で強化された条件反射の回路が形成されることで反射的に起きるという見方があるようだ。
私は恐怖心は吃音の必要条件ではないと思っているので、そういう見方はしない。
吃音は誰にも起きうる問題と考えているから、吃音は誰にも備わっている機構によって反射的自動的に起きると考える。
新たな条件反射の回路を仮定する必要はないと考える。

前置きはこれくらいにして、まず私は遅れ時間を0.15秒?くらいに設定して実験を開始した。
?がつくのは、はっきり覚えていないから。
しかし文献は少し読んでいたから、大体の見当はつけていた。
遅れ時間をいろいろ変えて実験したから、大体の遅れ時間は覚えている。
DAF装置を装着し、いろいろ思いつく言葉を発音してみた。
最初はDAFによる影響は出なかった。
しかしヘッドフォーンから出る音量を上げていくと、ついに連発が出始めた。
その音量はこの実験を続けると難聴になるのではないかと心配になるレベルだった。
骨伝導を打ち消すほどの音量がないと、DAFの影響は出ないといわれている。
DAFによって発生した連発は驚くほどに反射的自動的だった。
それをどんなに食い止めようとしても、食い止めることはできなかった。
遅れ時間を0.13秒とか0.18秒に設定しても、反射的自動的な連発が起き、それを食い止めるのはむずかしかった。
一方、遅れ時間を0.08秒とか0.25秒に設定すると、連発は発生しなかった。
DAFによる吃音では遅れ時間の大小が重大な意味をもっていると思われた。

DAFによる私の実験では、伸発や難発は発生しなかった。
DAFの影響で話しづらい時、口ごもることはあった。
私が日頃経験している難発と照らし合わせると、それは難発ではなくて、ただの口ごもりであると思われた。
DAFの条件下では、サ行音は連発になった。
/sa/が繰り返された。
通常、私はサ行音では伸発になり、/s/が引き伸ばされる。
決して連発にならない。
だからDAFによる吃音は特殊であって、通常の吃音ではないと思われた。

しかしDAF吃音は吃音の一種であると思われた。
そう見なす確定的な根拠はないが、私はもともと吃音はある失敗をきっかけに起きると考えており、DAFによる吃音はそれに合致すると思われた。
DAFによる吃音はDAFによって人為的に作り出された失敗をきっかけに起きていると思われる。
失敗を失敗と判断するには、何らかの基準があり、それと照らし合わせて失敗と判断するのだろう。
吃音を引き起こす脳の部位は一種のメトロノームのような装置を備えており、それと照らし合わせて失敗を判断するように思われる。
その基準について考えるのはむずかしい。
が、ともかく私は話す時の筋運動感覚と聴感覚との間に重大なズレが起きた時、それが失敗と判断されることでDAF吃音が発生するのではないかと想像した。
また私はもともと吃音は反射的自動的に起きると考えており、DAFによる吃音にもそれが明確に現れているから吃音の一種といってもよいのではないかと思った。

DAFには吃音を減少させる固有の効果があるのかについては、私は否定的だった。
たとえば遅れ時間を0.08秒にしたり、0.25秒にした時、私は話しづらさを感じ、聴覚情報を無視し、筋運動感覚に依拠して話すようになった。
この時、吃音は少し減少したようにも思われたが、私はそれをマスキング効果だと思った。
自分の声が自分に聞こえないように雑音を流して話すと、吃音は劇的に減少する。
それをマスキング効果と呼んでいる。
私の解釈では、雑音で自分の話す声がかき消される時、筋運動感覚に依拠して話すようになるが、その時、吃音は劇的に減少する。
DAFによる吃音の減少は、DAFの遅れ時間がどうのこうのという問題ではなく、たんにマスキング効果の一種に過ぎないと思った。

DAF吃音の研究は、吃音者には内在的な聴覚的遅れがあるのではないかという疑問、あるいはDAFによって吃音を治療しようとする方向に向かったが、やがて廃れていった。
私はDAFによって示された吃音の反射的自動的機構をこそ知りたいと思ったが、DAF研究はその方向に進まなかった。
DAF吃音は吃音を引き起こす反射的自動的機構が時間制御と深くかかわっていることを示唆しているように思われるが、DAF研究はその方向に進まなかった。
DAF研究の意義は矮小化されたが故に、廃れるべくして廃れていったように私には見える。

発話運動には一定の定速性がある。
通常の発話では1モーラの継続時間はほぼ0.15~0.2秒である。
私たちはそれを意識的に制御している訳ではないので、それを制御している自動機構があると思われる。
誰にも備わっているその自動機構が吃音を引き起こすと私は推測しているが、そのひとつの根拠はDAF吃音にあると思っている。
DAF吃音は人工的な吃音であって通常の吃音ではないが、聴覚的遅れがなくても、発話の過程である運動要素が欠落しているような場合、見方によってはある時間枠の中でその運動要素が遅れているのと同じことになる。
聴覚的遅れがなくても、運動要素の欠落などがあれば、吃音は起きうるし、それこそが通常の吃音だろうと思う。
私は吃音者には内在的な聴覚の遅れはないだろうと思っている。
私の推測でしかないが、脳の最終出力段階で発話の遂行を時間制御している脳の正常な部位がある失敗を感知した時、吃音を引き起こす。
脳のその部位はやや過敏すぎるかも知れないが、異常であるとは考えない。
正常であっても何ら差し支えない。
で、吃音のきっかけになる失敗は筋肉や神経や脳のさまざまな部位に由来しうる。
その原因を一律にいうことはできない。
たとえば大脳基底核に失敗の原因がある場合もあるといっても構わないが、吃音のきっかけになる失敗はすべて大脳基底核に原因があるとはいえないと思う。
私は口蓋裂から派生していると思われる吃音を見たことがある。
また、大脳基底核が直接的に吃音を引き起こすとは私は考えない。

このブログは吃音を考えることをテーマにしてスタートしたが、そのように範囲を限定すると、私の今の生活ではなかなかブログを更新できない。
それで、テーマをひとつ増やし、健康にかかわる記事も書こうかと今思っている。

私にとって懐かしい曲を入れる。
あまり聴く機会のない曲を入れたい。

www.youtube.com

GENE PITNEY - teardrop by teardrop

ルイジアナ・ママが有名だが、私はteardrop by teardropも好きだった。
ちょっと女々しくはあるが、今聴いてみると、やはり好きだ。

www.youtube.com

燃ゆる想い / ジャミー・クー

中学時代にラジオから流れていた。
地味な曲だが、好きだった。

 

追記

私は発話運動は基本的にはフィードフォワード制御される運動だと思っている。
発話運動のフィードフォワード制御とは、一息で話す範囲の文や句の語頭から末尾にいたるまでの全体をなめらかに展開しうるようにあらかじめ整えてからスタートするような制御の仕方だと思っている。
その整えは語頭の音が発せられる以前にスタートするが、整えができなければ口ごもったり、難発になったりすると思っている。
吃音者はとかく語頭の音だけを意識するが、それは末尾にいたるまでの全体をなめらかに展開しうるように整えることに失敗している状態であり、難発を招くと思う。

運動を継続したまま運動の誤差を修正するフィードバック制御が可能ならば、そもそも吃音は起きないと思う。
DAF吃音によって、フィードバック情報が発話運動に影響を与えることは認めうるが、それで首尾よく失敗を補正するように制御できるかというと、できない。
制御できないからDAF吃音が発生するのだ。
発話運動を自動制御する機構は脳内にあると思うが、それは基本的にはフィードフォワード制御機構だと思う。

しかしDAF吃音はよくわからない。
これは確認していないが、発音する最初の部分は骨伝導で聞こえているはずだが、その時点ではヘッドフォーンからまだ自分の声は聞こえておらず、遅れてヘッドフォーンから自分の声が聞こえるので、その時間的ズレで混乱が起きるためにDAF吃音が発生するのではないかという見方があったように記憶する。
発音する最初の部分は骨伝導で聞こえていたのかどうか?私は覚えていない。
聞こえていなかったような気がするが、定かでない。
聴覚的遅れが0.15秒ならDAF吃音が発生し、0.25秒ならDAF吃音は発生しないのは何故だろう?