吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

いろいろな吃音を統一的にとらえる ~ 吃音の原因はたくさんあるのか?

私は今までに書いてきたこととほぼ同じことを書くが、ただより明確に書こうと思う。

吃音にはさまざまな見方があるが、それらは互いにかみ合うことなく併存している。
緊張すると吃るという人が多いが、むしろ親しい人とリラックスして話している時に吃りやすいという人もいる。
後者は構えることなく心のままに話している時に吃りやすい。
上記のことと似ているが、話す運動を意識するから吃るという人がいて、だから意識せずに話すべきだという。
ここには一面の真理があると思う。
が、私自身はなめらかに話す運動イメージを明確にすることで吃音を改善してきたと思っており、それは意識的なあり方である。
このふたつの意見は一見対立しているようだが、ズレがあって議論がかみ合っていないと思われる。
酒に酔うと吃らないという吃音者がいる一方で、私のように酒に酔うと吃音が頻発する者もいる。
一時期、左利きを右利きに矯正すると吃音になるという説が一世を風靡したが、今はその説は全否定されている。
しかしこの説を全否定することについては、私はちょっと疑問をもっていて、一部の吃音者では利き手の矯正が関係しているかも知れないと疑っている。
近年では、吃音はその8割近くが遺伝性のものであると見られているが、環境の影響も無視できない。
また、私は口蓋裂から派生していると推測される吃音を3例ほど見たことがある。
また、ある特殊な吃り方をする高齢者にお話を伺ったことがあるが、彼は戦時中に南方で熱病にかかってから吃りだしたという。
彼は表情も歩き方もパーキンソン病のように見えた。
彼はパーキンソン病の筋強剛に由来するかのような重く引きずるような連発様の話し方をした。
その連発様の発音は語頭でも語中でも現れた。
私が見る限りでは伸発や難発はなかった。
こういうさまざまな吃音あるいは吃音様の発音があるが、これらを統一的にとらえることは可能だろうか?
現状はさまざまな意見が乱雑に出ているだけで、意見がかみ合わないので、議論にもならない。
そして吃音はいろいろな原因が絡んで起きるというあいまいな説明で済まされている。

私の推測では、吃音は発話運動のある種の失敗に対する補償的な反応として起きる。
このきっかけがあると吃音は瞬時に自動的に発生するから、吃音のきっかけと吃音そのものは一体化してとらえられがちであるが、両者は区別されなければならない。
吃音のきっかけになる発話運動の失敗はたんに吃音のきっかけに過ぎず、まだ吃音ではない。
そして吃音のきっかけになる発話運動の失敗はさまざまな原因で起こりうる。
私の推測では、上に記したようなさまざまな吃音の原因として予想されるものは、実はたんに吃音のきっかけになる発話運動の失敗の原因を予想させるだけであって、吃音の原因を示している訳ではないと考える。
吃音はあくまでも吃音のきっかけが脳のある部位に感知されて以降のプロセスである。
だからさまざまな吃音があるように見えても、私は驚かないし、吃音を引き起こす本当の原因はただひとつであると思っている。
それは脳のある部位が発話運動のある種の失敗を感知し、後続の運動指令への切り替えを延期し、遂行中の運動指令を継続発射することであると思っている。

近年の脳を観察した研究では、”吃音者・児では左前頭部にある発話中枢(ブローカ野)の体積がやや小さく、左前頭部と左側頭部の言語中枢間を結ぶ神経線維束(弓状束)が乱れている”という報告がでている。*1
しかしこの研究で吃音の仕組みが明らかになるとは私は思わない。
たんに発話運動に失敗しやすい仕組みが明らかになるに過ぎないと思う。
吃音者にはもともと発話運動のプログラミングに何らかの脆弱性があり、緊張などの状況下で脳内に雑音が生じると、プログラミングに失敗しやすくなることが引き金となって吃りやすくなるということがあるのかも知れない。
だから緊張すると吃りやすいという見方には一定の根拠があるのかも知れない。
一方、私は緊張下ではなめらかに話す運動イメージを明瞭にして話すので、吃音のきっかけになる失敗を減らし、それで吃音を減らしているのかも知れない。
勝手な妄想だが、たとえば脳内の青斑核の助けを借りてプログラミングを補強することで、結果的に吃音を減らしているのかも知れない。
緊張や意識のようなあいまいな言葉で考えていても埒があかないが、このように具体的に考えていくと見えてくるものがあるかも知れない。

発話運動のある種の失敗をきっかけにして、ある脳の部位が吃音が引き起こすと私は推測するのだが、では吃音のきっかけになる失敗はどういう種類の失敗だろうか?
これも私の推測に過ぎないが、それは発話運動の最終出力の時間制御に影響する失敗ではないだろうか?
発話運動はある一定の速さで進むが、その運動のある瞬間の断面は筋運動A、筋運動B、筋運動Cで構成されているとして、たとえば筋運動Cが出遅れた時、これは時間制御の失敗になるが、空間的な視点に立つとA・B・Cの空間的統合の失敗でもある。
この空間的統合は語頭の音を出す以前の準備的過程においてもあり、それに失敗すると難発になると私は見ている。
また語頭の音を出す以前の準備的過程にも最適な速さがあり、その速さが不適正だと難発になるのではないかと思っている。
だからわずかな躊躇があっても難発につながるのではないかと思っている。
で、私は発話運動の最終出力を時間制御している脳の部位は各筋運動を個別に制御しているとは思わない。
この部位はある程度まとまっている運動指令群を脳の別の領域から受け取っており、それが欠陥を内包した運動指令群である時、これを感知して吃音を引き起こすと思っている。
それはこの部位が後続するはずであった運動指令群への切り替えを延期する結果、遂行中の失敗を含む運動指令群を継続発射させる形で起きる。
何故そうなるかというと、これも推測だが、この部位はもともと発話運動を構成する運動部分の継続時間を制御しており、それは遂行中の運動部分を継続するか、それとも次の運動部分へ切り替えるかの二択しかもたない単純な機構だからではないだろうか。
高速で作動するこの機構はそういう単純な仕組みをもっているのではないだろうか。
この機構は発話運動の規範と照らし合わせつつ時間制御しているはずだが、もしも失敗があればそれを許容できないから次の運動部分への切り替えを延期(キャンセル)する。
本来ならば、失敗があれば一旦発話運動を中止し、また発話運動をやり直すべきである。
ところがこの機構はブレーキをもっていない。
次の運動部分の切り替えを行うハンドルしかもっていない。
そもそも発話運動を中止するには大脳が判断して中止すると思われるが、それには一定の時間がかかる。
しかし発話運動遂行の時間制御をしている脳の部位は高速で働いているので、発話運動を中止する以前に作動してしまう。
だから吃音が発生してしまうと推測する。

では、この脳の部位はどこだろう?
玉砕を覚悟で私の妄想をいうならば、大脳と連携しつつ運動の最終出力を微調整している小脳(中間部)ではないか?
そしてこの部位は正常もしくはやや過敏である。
この部位に異常があるから吃音が起きるわけではない。
この妄想は明確だから白黒をつけやすいだろう。
私は28歳頃に小脳が吃音を引き起こすと口走り始めた。
そして誰からも相手にされない妄想をかかえて45年ほどが過ぎ去った。
私もそろそろ後期高齢者になる。
私の妄想は明確であるが故にあっけなく崩壊するかも知れない。
それならそれでよい。
私もやっと重荷から解放される。
後は好きなように余生を送る。

私の妄想は、自分の吃音を観察して得られている面もあるが、なるべく合理的に説明することを重視して推測を重ねた結果、以上のような形にまとまってきたものである。

*1    吃音(どもり)と聴覚が密接に関連  - 吃音早期からの大脳言語処理
                   感覚機能系障害研究部長 森浩一
           http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No332/6_story.html

余談だが、私はインターネット上の吃音の相談に回答する意欲がなくなった。
これは以前からそうだが、深刻に悩んでいると思われる相談に私なりの考えを書き送っても、反応が返ってこないことが多い。
たとえ回答に同意できなくても、私なら一応お礼などのコメントを返す。
何の反応もないと、相談者がどう考えているのかわからないし、私は無視されたように感じる。
こういうことが吃音者に多いように思う。
実生活できちんとした人間関係を築きえていないから、そうなるのだろうと推測する。

私たちは個人として行動しているつもりでも、吃音者という集団の一員でもある。
吃音者は一般的にマナーに欠けるというイメージができてしまえば、吃音者がいくら相談をもちかけても、相談に応じる人は少なくなるかも知れない。
これは就活の問題でもいえると思う。
過去に採用した吃音者が使い物にならないことが多かった場合、吃音者は採用されなくなる可能性が高くなる。
私たちは個人個人だが、同時に吃音者という集団に属しており、この集団のイメージに寄与している。

Relaxing Arabic Music 

私は音楽を聴くのが好きだが、バックグラウンドミュージックとして聞き流しているだけだ。
中東の音楽には異国的なものを感じるが、何故か郷愁のようなものをも感じる。
それにしてもこの曲は悲しい。
とてもリラックスできない。
今の中東情勢を見ると、リラックスしている場合ではないが。
むろんハマスがテロ行為をしたことがきっかけになっているが、パレスチナ人は長くイスラエルから迫害されてきた。
しかもハマスのテロ行為は事前にネタニヤフ政権に察知されていたが、あえてそれを呼び込んで、パレスチナ人をガザから追放するために利用しているという見方もある。
また、汚職容疑で裁判中のネタニヤフは有罪で収監される可能性もある状況で、今回のことを利用して挙国一致体制を築いたという見方もある。
裏には裏があるから、マスメディアの報道をうのみにできない。
また日本のマスメディアは凄惨な場面を報道しないから、戦争の実態が伝わっていない。
ともかく無実の子供が今も虐殺されているから即時休戦を求めるが、岸田首相は休戦という言葉を拒否し、一時休止という言葉に固執する。
一時休止はイスラエルに批判的な世論の高まりによってアメリカがもちだしてきた言葉だ。
それは戦争の再開を前提にした見せかけの言葉であって、休戦とは違う意味がある。
岸田首相はアメリカのいいなりになってガザ市民に対する殺戮を容認するらしい。