吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

素人が吃音研究に首を突っ込むことについて(3)

2.素人も疑問を提起することはできる

子供はやたらに質問することがあるが、時には鋭い質問をする。
同様に、素人も疑問を提起することはできるし、時には鋭い質問をすることがあるかも知れない。

生徒がよい質問をすると、先生はよい質問だとほめる。
どういう疑い方をするかということは重要なことだ。
疑問は思考を方向づける力をもっており、独自の価値をもっている。
ある疑問がその後の研究の発展に大きく寄与したという例は少なからずあるだろう。

疑問は組織化される場合もある。
たとえば、もしもAならば、BかCが要請され、仮にBならば、Dは否定される、というように。
こうして断片的な疑問がより組織化されて仮説めいたものに発展することもあるかも知れない。

検証しづらいあいまいな仮説は、肯定も否定もしづらいが故に幽霊のように長く生き延びる。
たとえば緊張するから吃るという仮説にはあいまいさがある。
私は緊張していないというと、緊張は潜在化していると反論してくるかも知れない。
こういうあいまいな仮説には反論しにくい。
仮説や疑問は検証可能であるべきだ。
たとえば小脳失調性の言語障害と吃音は両立しうるかという疑問は検証可能だと思う。
素人でも検証可能な疑問を提起することはできると思う。
この疑問はある考えに基づいている。
疑問は何らかの知識に基づいて生まれてくるが、昨今は素人も研究報告や論文にアクセスしやすくなっている。

素人は疑問を提起することはできる。
しかし疑問を検証することはむずかしい。
素人は検証する手段を欠いているからだ。