吃音は発話運動の流暢性のある種の失敗をきっかけに2次的に起きるもの、と私は推測している。
従って、吃音が起きないようにするにはたんに発話運動の流暢性に失敗しなければよい、と考えている。
流暢性に失敗しやすい何らかの素因はあるかも知れないから、100%を求めることはできないかも知れない。
ただ吃音者は吃音を発症してから、適正な運動イメージを見失い、そのために吃音がいっそう悪化することが多いように思われる。
少なくとも適正な運動イメージを回復し、それによって発話運動の流暢性をできるだけ回復すること、それが私が考える吃音の軽減法である。
そのためには、正常な発話運動をよく理解する必要があると思う。
それにのっとって正常に発話運動する必要があると思う。
私は基本的には通常の発話の仕方とは違う発話の仕方で練習することはしない。
通常とは違う発話の仕方で練習すると、実際の会話の場面でギャップを感じ、つまづきやすいのではないかと思うから、そういう練習は避ける。
発話は通常のスピードで行う。
ただし、10年前に私が試みた練習法では語尾を伸ばすやり方をした。
これは通常の発話の仕方とは違うが、後で説明する。
ほぼ10年前、私は次のように考えて発音練習をした。
1.吃りやすい、よく使う重要な言葉を5~6だけ厳選し、それだけを集中的に練習する
それは実践性のある会話体の言葉、たとえば次のような言葉である。
・おはようございます
・あきよしはるひこともうします
・ありがとうございます
・よろしくおねがいします
・はちおうじにすんでいます
・しつれいします
こういう厳選した言葉だけを集中的に練習した。
その理由は、
①練習の効果を確認しやすい。
②効果/練習量の比が大きい。
もし練習して効果がでたら、よく使う重要な言葉が楽にいえるようになるのだから、たまにしか使わない言葉が楽にいえるようになるよりも、効果は大きい。
かつ厳選された少ない言葉だけを集中的に練習するのだから、多くの言葉を練習するよりも、練習量は少くないだろう。
従って効果/練習量の比が大きい。
吃りやすい、よく使う重要な言葉が楽にいえるようになれば、精神的にもかなり楽になるはずだ。
③その効果は他の言葉にも波及するかも知れない。
2.人物の画像をいろいろ用意し、それを本物の人物と見て、画像に向かって練習する
実際の場面に近い状態で練習する。
発話運動は語頭の音を発する以前にすでに始まっている。
事前の運動なしに急に語頭の音が出る訳ではない。
しかし事前の運動は素早いし、自覚しづらい。
が、この運動こそが重要であり、これに失敗すると難発になる、と私は思っている。
だから事前の運動をスタートするところから自覚的に練習する。
つまり、人物の画像を見たところをスタート点とし、そこから連綿とつながる発話運動を練習する。
発話運動には一定のスピードがある。
語頭の音を発するまでの運動にも適正なスピードがあり、そこにわずかのとどこおりやためらいもあってはならない。
3.語頭の音にとらわれずに、言葉全体をイメージしながら、末尾に向かう運動イメージをもって話す
といっても、漠然としており、イメージしづらいだろう。
たとえば唱歌「海」の”松原遠く”を歌う時、まず語頭の「ま」を意識するというよりは、”松原遠く”のメロディ全体をイメージしながら歌い始めるだろう。
通常の発話は歌うこととは違うが、全体をイメージして話すことは歌うことに似ている。
胎児は母親の体内の羊水の中で母親の話し声の韻律を聴き取っているという。
喃語期の幼児はでたらめな言葉を話すが、しかしイントネーションだけはしっかり習得している。
幼児はまず発話を音楽的に習得するのではないか、ということは興味深い。
語頭の音を意識すると難発になりやすいということは、私の体験からいえる。
以前の記事「調音結合と吃音について - 吃音ノート」で、語頭の音を意識すると調音結合が壊れる、と書いた。
「おはようございます」をいう時、語頭の「お」を意識することは、調音結合のある「おはようございます」全体から分離された単独の「お」を意識することであり、それは調音結合を壊す。
「おはようございます」は「お」から始まるのだから「お」を意識するのは当たり前だと思いがちだが、そこに落とし穴があると思う。
また、語頭の音を発する前の段階で、各筋肉が協調しながら適正なバランスとスピードをもって運動を開始するが、調音結合のある「おはようございます」をいう前の諸筋肉のバランスと単独の「お」をいう前のそれは微妙に違うのではないか、と私は思っている。
たとえば筋肉Aに関しては両者はほぼ同じだが、筋肉Bに関しては両者は異なるということがあるのではないか、と私は思っている。
非常に似た分かれ道があり、吃音者は吃音を体験するととかく分析的になり、調音結合を欠いた道へ入ってしまうために、運動のなめらかさがいっそう損なわれ、症状が悪化してしまうのではないか、と思う。
ここで、図を入れる。
もっとよい図があればよいが、今のところ思いつかない。
上の図で、緑色、紫色、水色、黄色の図形は、それぞれ狭義の「お」、「は」、「よ」、「-」をいう運動である。
Aは不適正な筋運動のイメージ図である。
まず「お」をいい、次に「は」をいい、というように分離された音を発する運動イメージが単純につながっている。
おまけに語頭の「お」を発する以前に開始されている発話運動のイメージが貧弱である。
Bは正常な筋運動のイメージ図だろうと思う。
たとえば「お」をいう過程には、後続する「は」や「よ」や「-」の筋運動の準備も含まれている。
かつ、部分的には少なくとも「は」をいう筋運動と共存している。
また、こういう調音結合は筋運動のレベルでは「お」を発する前の段階からすでに始まっている。
こういうことを示したいから図に書いたが、よい図ではない。
音声の時間経過を仮に0.15秒ごとに区切ったが、各音の継続時間はほぼ一定である。
これはモーラという概念に関係している。
*いずれ調べた上で、モーラなどの基本用語について書こうと思う。
私たちは各音の継続時間を意識的に制御している訳ではなく、脳の自動制御にゆだねている。
発話運動はタイミングの精度を要する厳しい運動だが、反射や自動制御の助けを借りているから、私たちはあまり意識せずに発話しえている。
随意運動の内部にひそむ反射や自動制御にもっと注目すべきだと思うが、心理学にとらわれている人たちはそういうことは思いもよらないのだろう。
しかし語頭の音にとらわれずに、言葉全体をイメージしながら末尾に向かう運動イメージをもって話せ、といわれても、具体的にどうしたらよいかわかりにくいだろう。
それで、私は次のように練習した。
おはようございますうーー
つまり語頭を意識するのではなく、むしろ語尾を志向することを意識するために、あえて語尾を伸ばして発音練習した。
それは語頭の音にとらわれずに末尾の「う」に向かって進む運動イメージを明確にするためであって、語尾を伸ばすことが目的ではない。
だから実際の会話の場面では語尾は伸ばさない。
語頭の音にとらわれずに末尾に向かってなめらかに流れる運動イメージが定着したらOKなので、そのために何度も練習する。
しかし以上でも、まだ運動イメージが漠然としているのかも知れない。
もう少し肉づけして具体化した方がよいかも知れない。
10年前、私はさらに次のことも加味して発音練習した。
4.2拍目に力点をおいて話す
発話運動は2拍からなるフットという単位で進むという説があり、これは定説化している。*1
たとえば「おはよう」において、(おは)は1フット、(よう)も1フットである。
(おは)は1フットなので、「お」と「は」に分離できない。
調音結合との関連でいうと、(おは)は調音結合の度合いが大きい、ということになるかも知れない。
~
また、佐藤大和の「単語における音韻継続時間と発声のタイミング」(日本音聲学会音声研究会、昭和52年度資料集)で、単語内の音韻の継続時間は短・長・短・長・短・長・・・のリズムをなしている、という仮説が提起されている。
この研究はその後どう検証され、どう引き継がれていったのか、私は知らないが、興味がある。
この仮説は私の実感と合っているように思われる。
この仮説によると、「おはようございます」において、「お」の継続時間は短く、「は」の継続時間は長い。
しかし各音韻の継続時間を意識的に制御するのは無理だろう。
それは1/100~1/1000秒のオーダーの制御だろう。
従って、2拍目はとくに明瞭に発音する、または2拍目をやや強めに発音するというくらいでよいと思う。
これは2拍目にアクセントがあるということではないので、2拍目のピッチを上げるという ことではない。
語頭に近い部分が大事だから、4拍目etc.はあまり気にしなくてよいだろう。
音の強弱または明瞭度をフォントサイズで示すと、
おはようございます
のようになる。
以上が正常な発話運動の規則を示しているのであれば、それにのっとって発話すると発話はより流暢になる、と思われる。
以上の1~4を踏まえ、人物の画像 (実際の人物でもよい) に向かって、イントネーションのイメージを母体にしつつ、語頭の音を意識するよりは語尾の音をめざして調音結合しながらなめらかに進む運動イメージを明確にするために語尾を伸ばし、かつ2拍目はとくに明瞭に発音して、
・おはようございますうーー
・あきよしはるひこともうしますうーー
・ありがとうございますうーー
・よろしくおねがいしますうーー
・はちおうじにすんでいますうーー
・しつれいしますうーー
を筋運動イメージがしっかり定着するまで繰り返し練習する。
くどくどしい説明を加えたのは、練習の意味を理解しないと練習の効果が弱くなるのではないか、効果が継続しないのではないか、と思うからだ。
この方法は、少なくとも私においては効果があったし、その効果はある程度継続している。
まだ書きたいことがあるが、それは次回にまわす。
唱歌 「海」♪松原遠く消ゆるところ
youtu.be
*1
脳は複数の運動指令をまとめて1セットにして扱うことをよく行っているのかも知れない。
以前の記事「連発について」で、/ta/の生成過程を3段階からなると見て書いたが、「た」の連発では3段階が繰り返される。ただし母音は欠落している。
これは、この3段階を1セットとして扱う脳の部位が吃音を直接的に引き起こしていることを示唆しているのかも知れない。
追記
11/15、フットや2拍目の強調について、書き加えた。