下の1~3の音声ファイルは、日本語の言葉の前後をひっくり返したものである。
この音声ファイルを聴いて、ひっくり返す前の言葉がわかるだろうか?
1.
2.
3.
下の1'~3'の音声ファイルはそれぞれ前後をひっくり返す前の音声で、1~3に対応している。
1'
2'.
3'.
1'は「おはようございます」、2'は「ありがとうございます」、3'は「ちょっと待って」である。
たとえば「おはようございます」の前後をひっくり返しても「すまいざごうよはお」にならない。
それは、「おはようございます」という音声の流れを9つの過程に分断して9つのひらかな文字で表すのはあまりにも粗すぎる近似であって、正確な近似でないからだろう。
それは「おはようございます」の連続性を正確に表しえていない。
これを意外に思うとしたら、それは「おはようございます」の運動イメージが本来の連続体のイメージからかけ離れてしまっているということかも知れない。
次に「おはようございます」を音素記号で表すと、おそらく/ohayo-gozaimasu/になる。(不勉強なので、間違っているかも知れないが)
これは「おはようございます」という音声の流れを15の過程に分断して15の記号で近似している。
こちらの方がより細かい近似である。
この前後をひっくりかえすと、/usamiazogo-yaho/になる。
1の音声ファイルが幾分そのように聞こえるならば、音素記号は幾分正確な近似といえるのだろう。
しかし音素記号をつなげても、しょせん近似であって、「おはようございます」という連続体を100%正確に表現することはできない。
厳しく調べれば、それが明らかになると思う。
たとえば音素記号だけでは調音結合を表現できない。
また、ある音素は複数の過程からなっているのに、それをひとつの記号で表しているということもあるかも知れない。
それにしても、幼児はどのように言葉を習得していくのだろう?
不思議だ。
もちろん音声にひらがなを対応させながら習得している訳ではない。
少なくとも最初は音声の流れを連続体として聴き取り、習得していくのではないだろうか?
たとえば「おはよう」を分断できない連続体として習得していくのではないだろうか?
しかし徐々に連続体をいくつかの過程に分断し、記号化して捉える傾向が強まっていくのだろうか?
それが発話運動のイメージにも影響していくのだろうか?
たとえば「おはようございます」という音声の流れを個別の「お」、「は」etc.を単純につなげたものと捉えるならば、「お」から「は」へのなめらかな移行に失敗しやすくなるかも知れない。
これは考えすぎか?
連続性と非連続性は今風にいえば、アナログとデジタルか。
デジタルをより細密化することでアナログをより精密に近似しようとするのが現代の流れなのだろう。