吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

映画「英国王のスピーチ」を観て

私はアマゾン・プライムの会員なので、一部の映画やテレビ映画を無料で観ることができる。
たった今、「英国王のスピーチ」(字幕版)を観て、ちょっと涙ぐんでいる。
原題は「The King's Speech」。
ここで英国王とはジョージ6世のことだ。
即位する前はヨーク公アルバート王子だった。
彼は幼いころから吃音があった。
しかし王族だから、スピーチする場面が時々あり、困りぬいた彼は言語療法士のライオネル・ローグを訪ねた。
ローグはかつて演劇をやっていた人物で、医者ではない。
ローグは平民、アルバートは王族だが、ローグは対等の関係で対応したいと申しで、アルバートはそれを断った。
中途半端な状態で吃音の治療が行われた。
アルバートは吃音が治らないまま国王に即位し、ジョージ6世を名乗った。
しかもナチスドイツが台頭してきた時代で、ついにドイツと開戦することになった。
ジョージ6世はいよいよ国民に向かってスピーチすることになり、一旦関係が切れたローグにスピーチに立ち合ってほしいと頼んだ。
そして、時々難発になりながらも、世界の秩序と平和を守るという崇高な目的のために国民は団結して立ち向かってください、という趣旨のスピーチをした。
それは国民に感銘を与えたようだ。
ローグが「スピーチに間が空くと威厳がでます」と慰めると、ジョージ6世は「私は最も間の長い国王だ」と嘆きと怒りの声でいった。
しかしそれは「私は最も威厳のある国王だ」というユーモアとも受け取れる複雑な言葉だった。
ジョージ6世とローグは生涯の友となったという。

この映画ではマスキング効果のこともさりげなくでてくる。
歌うように発音するという手法もでてくる。
ジョージ6世が練習で読む原稿には音の高低または強弱の変化を示すような記号が書いてあったが、昔、私も音読で発音練習した時はそういう記号を書き入れたことがある。
それは発話運動イメージをある程度明確にする。
しかしその発音練習の効果は一時的なもので、その後、吃音が復活してしまった。
最後のシーンでは、ベートーヴェン交響曲第3番第2楽章が流れる中、スピーチに立ち合ったローグがジョージ6世の前で指揮をするように手をゆっくり振っていたのが印象的だった。
この映画は吃音をもった国王がかかえる心労をよく表しているが、ちょっと滑稽さも感じた。
国王という象徴的で不自由な身分と平民という自由な身分の対比が描写されていて、ちょっと哀感のあるおもしろみも感じた。
ジョージ6世役のコリン・アンドリュー・ファースも、ローグ役のジェフリー・ロイ・ラッシュも、好演していると思う。

国王のように威厳を求められる地位にありながら吃音があったら、どんなに大変だろう。
実は、昭和天皇は若い頃に吃音矯正所に通ったことがある、と読んだことがある。
今、それを確認できないので、これは定かでない。
仮にそれが事実だとすると、昭和天皇はかなりご苦労されただろうと思う。
また、誤解もされてきただろうと思う。
昭和天皇も戦争を体験し、軍部が独走する状況の中で、おそらくジョージ6世以上に大変な思いをされた。
こういうことを書くと、不敬罪になるだろうか?
ならば、ジョージ6世が吃音者だったことを明かすのも不敬に当たるだろうか?
バイデン大統領が吃音者だったことを明かすのも、田中角栄が吃音者だったことを明かすのも、不敬に当たるだろうか?
吃音はあってはならないもの、隠すべきものだろうか?

*インターネット上には昭和天皇の吃音をあざ笑うような記事がある。
 昭和天皇どもりすぎワロタwwwwwwwwwwwwww

追記
バイデンは吃音者だったということで彼を好意的に見ることはしない、私は。
彼は優れた政治家であるとは思わない。
卑劣なところすらあると思っている。