吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

吃音の汎化について、および伸発について(2)

昔、私は伸発になることはなかった。
しかしいつからか無声摩擦音のサ行音やハ行音で伸発が起きるようになった。

典型例では、スーパーのレジで「さいふ」/saihu/といおうとしたら、/s/が長く伸びてしまい、はっと気がついて一旦話す行為を中断したことがある。
それは自動的な継続で、発話行為を中断することで初めて停止する。

この伸発は母音/a/の欠落を含んだ状態が継続していると見なせるから、/s(a)/が継続していると表記すればよいのだろうか?
しかし、まだ/a/の口型になっていないし、1拍分が継続するのではなくて、拍そのものが壊れている。
だから単に/s/が継続していると書けばよいのだろうか?
それとも吃音の表記はむしろ音声記号を使う方がよいのだろうか。
私のパソコンでは音声記号を入力できないから、別の記号で代用するなら、[s:]と表記したらよいだろうか?
細かいことだが、私は表記の仕方で迷ってしまう。

通常、無声摩擦音は伸発になる。
連発にならない。
一方、声道をいったん閉じてから破裂的に息や声を出すような区切りのある音は連発になるが、伸発にはならない。
声道を閉じた状態で難発になることはありうるが、伸発にはならない。
これは考えてみると、当たり前と思われる。

ただしDAFによってサ行音が連発になることがある。
この場合、伸発にはならない。
しかしDAFは人口吃であって、通常の吃音ではないと思う。
これについては別の機会に書こうと思う。

DAFはDelayed Auditory Feedbackの略で、かいつまんでいうと自分の声が実際より遅れて知覚されること。
特殊な装置を使って、自分の声が実際より遅れて聞こえる状態で話すと、筋運動感覚と聴感覚との間にズレが生ずるが、この時に吃音が発生する。
この装置を使うと、非吃音者にも吃音が発生する。
それは反射的自動的な吃音で、自分で制御できない。

/sa/は、単純にいうと子音/s/を発する過程と母音/a/を発する過程の2段階からなる。
子音/s/は、下顎を上げて上顎に近づけ、舌の前部分を上側の歯茎あたりに接近させ、息の通り道を狭めながら息を流すことで発せられる。この時、声門は開いている。
母音/a/は、下顎を下げて口を開き、舌を引き下げて口腔内を広くし、声門をゆるく閉じて左右の声帯がゆるく接触しているところに息を流し、声帯が振動することによって発せられる。
通常の発話は、大ざっぱな目安であるが、/s/の継続時間はだいたい0.07秒くらい、/a/の継続時間はだいたい0.1秒くらい。
これは話す速度によって変わるが、脳はそれぞれの拍(モーラ)の継続時間がほぼ一定になるように自動制御している。
上記では/sa/の継続時間は0.17秒になる。

私の推測だが、/s/の継続時間が0.07秒を過ぎても母音/a/が出ない時、つまり声帯が振動すべきタイミングで振動を開始しない時、脳はこれを失敗と見なし、後続する運動指令の発射をキャンセルまたは延期してしまうのではないだろうか?
この脳の部位は遂行中の運動指令の発射継続時間を制御しているが、それは後続する運動指令への切り替え制御と同じではないだろうか?
たとえばA→Bと推移する運動において、Aの継続を短くすることはBへの切り替えを早くすることであり、逆にAの継続を伸ばすことはBへの切り替えを遅らせることと同じではないだろうか?
いい換えると、Bへの切り替えを遅らせることはAを継続させることと同じではないだろうか?
仮にAに失敗がある時、脳のこの部位は後続するBの運動指令の発射をキャンセルあるいは延期するのではないか、と私は乱暴に推測するが、これは脳のこの部位はAの継続時間を制御する時にBへの切り替えを遅らせることを通常の機能として行っていると思われるからである。
吃音では何故失敗を含む運動が継続してしまうのかという疑問は、脳のこの部位の通常の機能を考えると、説明できるかも知れない。
私はそう思っている。

/s/から/a/へ切り替わるタイミングの許容幅は非常に狭いだろう。
その許容幅から外れることは極めて微細な失敗であっても、それをきっかけに吃音という大きな結果がでてくる。
微細な失敗に対して、脳の正常な部位が反応して吃音という大きな問題を引き起こしてしまう。
私はそう思っている。

ここで、/sa/の時間経過に関する単純な図を入れる。

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正常な/sa/はBのような時間経過になると思う。
/s/を発している最中に/a/が開始され、/s/と/a/が共存している過度的過程があるはずである。
一方、Aのような運動イメージをもっていると、おそらく/a/への切り替えのタイミングに失敗するのではないだろうか?

ハ行音でも、私の体験を解釈すると、母音が出るべきタイミングで出ないから、伸発が起きていると思われる。
つまり、声門が開きっぱなしであるため、声帯を振動させることなく息が通過してしまうから、伸発が起きていると思われる。
これも大ざっぱな目安でしかないが、通常の発話では、/h/の継続時間は0.07秒くらい、/a/の継続時間は0.1秒くらい。

ハ行音では息の通り道が広いので早く息が切れてしまうから、長い伸発にはならない。

また、日本語には母音の無声化という現象がある。
たとえば「袋」/フクロ/において、通常の発音では、/フ/は息だけの音で、母音が無声化する。
つまり/フ/では、声門を開きっぱなしにし、声帯が振動しないまま、息を流す。
それが正常な発音になる。
ところが、母音が出るべき時に出ないことに過敏になっている吃音者は、この母音の無声化にも反応して、/フクロ/で吃ることがあるかも知れない。

以上は、母音が出るべきタイミングで出ないことをきっかけに伸発が起きていると思われる例である。
この伸発が起きる時、吃音者は母音が出るべき時に出ないということに過敏になっている。

上に書いた伸発はすべて自動的に起きてしまう感があるが、もっと努力性を伴った伸発?もある。

歌川(仮称)君には重度の難発があるが、自分の名前をいう時、「うーーー」をいい続ける。
一向に次の「た」が出てこない。
これは難発があって「う」すら出ないが、それでも努力して無理に声を出すと、「うーー」になってしまう。
これは以前に「連発について」で書いたような、難発から派生する話し方だと思う。
難発それ自体は自動的に起きてしまうが、難発から派生した努力性を伴った伸発?は自動的に起きるものではない。
連発もそうだが、自動的に起きる伸発と難発から派生する努力性を伴った伸発?は区別しなければならないと思う。

追記

従来、私は発話の各運動部分の組み合わせのタイミングの失敗をきっかけに吃音が起きるのではないか、と書いてきたと思う。
しかも吃音を直接的に引き起こすのは発話運動内部でタイミングを制御する脳の部位であって、この部位は正常である、ということも書いてきたと思う。
ここには矛盾があるのではないか、という指摘があってもおかしくない。
私は今までの記事を読み返して誤解のないように表現を修正するかも知れない。

私が推測しているのは、次のことである。
吃音を直接的に引き起こすのは、発話運動において拍(モーラ)の継続時間をほぼ一定に保とうとする脳の部位ではないかということ。
それは自動制御的に働くこと。
それは運動指令の切り替えのタイミングを制御しているから、タイミング制御機構であること。
しかしこの機構は各筋肉ごとに個別に収縮弛緩のタイミングを制御しているとは思われない。
1/100~1/1000秒のオーダーで敏速に働くタイミング制御機構が各筋肉ごとに個別に収縮弛緩のタイミングを制御するのは困難だろう。
このタイミング制御機構は発話運動のプログラム作成にかかわっている訳ではない。
脳のいろいろな部位が協力しあって発話運動をプログラミングし、それをある程度まとめた形にした上で最終出力段階のタイミング制御機構に送り出す。
しかし、タイミング制御機構が受け取ったプログラムは一部の筋収縮の指令が欠損したプログラムかも知れない。
タイミング制御機構はそのプログラムを稼働させ、聴感覚あるいは筋運動感覚によって一部の筋収縮の指令が欠落していることを感知するや、やむない措置として結果的に吃音を引き起こす。
だから、問題はタイミング制御機構が受け取ったプログラムの内容にある。
そのプログラムはもともとタイミング制御機構が作ったものではない。
タイミング制御機構はあくまで最終出力段階でタイミング制御を専門に行う機関に過ぎない。
小脳は大脳と連携しつつ運動の微調整を行っているという見方があり、上記の推測はこの大脳・小脳連関とつながっている。
私が最も知りたいのは発話運動と大脳・小脳連関の関係である。
音声学にも関心があるが、関心の行きつく先は大脳・小脳連関である。
古い図だが、もう45年ほど前からこの図に惹きつけられている。
とくに小脳中間部に惹きつけられている。

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