吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

吃音を自覚した頃と吃音を発症した頃のこと

私が吃音を自覚したのは小学2年の頃。
比較的近いところに同年齢の子が住んでいた。
その子と同級生ではなかったが、急に親しくなり、一緒に歩きながら話していた時のことだった。
私は確か無声破裂音で急に激しく連発した。
友だちは笑い、私も笑った。
これは予想外のことだったので、私は驚き、再びその言葉をいおうとしたら、また同じように激しく連発し、友達も私も笑った。
これはきわだった出来事だったので、これで私は吃音をはっきり自覚したと思っている。

しかし後年、親から話を聞き、幼少期のことを振り返ってみると、私はすでに幼少期に吃音を発症していたのではないかと思われる。
親の話しでは、3歳頃、左利きを矯正してから吃りだしたという。
私はその当時のことを覚えていない。
ただ話しをしない幼児だったというおぼろな記憶がある。
また親とは終始距離感があったと記憶する。
幼稚園でも周囲の子と話さなかった。

小学校に入ると、私は教室ではやんちゃにふるまうようになった。
家でのふるまいとは大きなギャップがあり、親はそれを心配したようだ。
小学1年の頃を思い出すと、私は授業中もふざけたことをいって皆を笑わせていたが、しかし自由に話せないことは漠然と自覚していたように思う。
話すことに失敗するかも知れないと思いながら、ふざけたことをいっていたような記憶がある。
その頃は私はまだ吃音という概念をもっていなかったのかも知れない。
そうであれば、吃音を自覚できないのは当然だろう。
ただ何となく話しづらさを自覚するだけである。

この小学1年の頃を考えるなら、おそらく小学2年の頃も話しづらさを感じていただろう。
友達と話していた時に急に連発したのも、その前史があったのだろう。
ただあのように見事に連発することは予想していなかったし、自分でも驚いた。

逆に過去にさかのぼって考えると、私はやはり幼少期にすでに吃音を発症していたのだろうと思われる。
自由に話せないので、話すことを早くから諦めてしまったのではないかと思われる。
過去のことは深い霧に包まれており、定かでないが。

その後、私は変転の多い人生を送った。
その人生は私の性格からも影響されていただろう。
その性格は定かでない幼少期に由来している。
性格は不変とは考えないが、基本的な部分はあまり変わらないように思う。
それを長所として活かすか、短所として目立たせてしまうかは、その後の生き方で変わるだろうが。