吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

吃音の軽減について (1)

私は吃音の原因や仕組みに関心があるが、実は吃音の治療にあまり関心がない。
吃音の原因や仕組みがわかれば、吃音の治療法も徐々に明らかになっていくと思うが、それはまだ先の話しだと思っている。
それに私は吃音が完治していない。
若い頃に比べると吃音がかなり軽くなっているが、それでもまだ吃っている。
こういう私だから、吃音の治療について書く資格はないと思っている。

ただ、若い頃に比べると吃音が軽くなっているのは事実だ。
私の仕事の現場にはいろいろな会社の人が入っているが、穏やかな人間関係があると思う。
また居住地の自治会では役員を務め、多くの人と接しており、会合でも発言している。
時には議長役も務める。
これらのことに私は苦痛を感じていない。
また、私は吃ってもそれを恥ずべきことと思わない。
少し話し方がたどたどしくても、それをご愛敬と思っている。
だから、吃音を軽減する試みをしていないし、そのことに関心をもっていない。

しかしインターネットを見ると、吃音で苦しんでいる人はたくさんいる。
それを見ると、何とかしてあげたいと思う。
私も若い頃は苦しんだから、彼らの苦しさはわかる。
が、多くの吃音者は吃音の原因・仕組みに関心がないようだ。
吃音を治すには正常な発話運動について深く理解する必要があると私は思うが、
そういう面倒なことを敬遠しているように見える。
手っ取り早く吃音を治したがっているように見える。
私はそこに不満を感じるが、彼らの苦しみはわかるので、吃音の治療、というより吃音の軽減について、今の私の考えを書こうと思う。
まだ時期早々だし、まとまりのない文になるが。

まだ20代の頃、我流で発音練習し、吃音をほぼ消滅させたことがある。
それは苦手な言葉を何度も何度も発音するような練習だったと思う。
しかししばらくしてから吃音が復活した。
吃音を一時的に治すのはそうむずかしいことではないが、しばらくすると吃音は復活する。
それが吃音治療のむずかしさだと思う。

インターネットでは吃音治療をかたる宣伝がよく目につくが、問題は治療の効果が一時的なものではなく、どこまで継続するかということだ。
治療者はどこまで患者をフォローアップしているか、追跡調査しているか、その上で治療効果を評価しているか、それを示すべきだと思う。
それがないのであれば、インチキというべきかも知れない。

私は精神論者ではない。
精神のもち方で吃音が起きるとは考えていない。
従って、精神のもち方で吃音が治るとも考えていない。
私はあいまいさをかなり嫌う。
吃音はストレスで起きるというあいまいな説明も嫌う。
そういうあいまいないい方で説明できていると思う頭の仕組みがわからない。
一見もっともらしいが故にそれで満足させてしまうあいまいな言葉を私は思考停止語と呼びたい。
具体的に考えないと、吃音は永久に解決できない。

吃音は筋肉の制御という具体的な問題だと考える。
吃るまいとするのは否定的なあり方だ。
否定形は抽象的であって、ものごとを具体的に示さない。
こう筋肉を制御するという具体的な肯定形で示さないと、効果的な治療はできないだろう。
具体的であることが肝心だと思う。
そのためには正常な発話運動を深く理解する必要があると思う。

吃音は発話運動を構成している運動部分の組み合わせのタイミングに失敗することで起きるのではないか、と若い頃から思っている。
タイミングの失敗が問題になるのは、発話運動にはある程度定まったスピードがあり、そのスピードを守ろうとする制御機構があるからだ、と思う。
1拍(モーラ)の継続時間がほぼ0.15~0.2秒になるように制御する機構があるから、タイミングの失敗がシビアな問題になる、と思う。
煎じ詰めると、吃音はタイミングの失敗からスピード制御機構によって2次的に発生するものということになる。
また、発話運動を分析的に捉えると吃音は悪化しやすい、と思っている。
たとえば呼吸運動の訓練をするのは発話運動の一部をとりだす分析的なやり方であって、好ましくないと思っている。
発話運動を統合的に捉えることを重視する考え方は今も変わっていない。

また、発話運動は随意運動だが、それには階層性があり、その内部には自覚されにくい反射的・自動制御的な部分も含まれている、と考えている。
吃音はその自動制御的な部分で起きる問題である、と考えている。
これも今と考えが変わっていない。

発話運動は基本的にはフィードフォワード的に制御される。
これも昔から考えていた。

語頭の音を意識すると難発になりやすい、ということも以前から思っていた。
昔の学生運動の活動家はアジ演説で「我々はーー」のように語尾を伸ばす言い方をしていたが、そういう言い方では吃らない、ということにも気がついていた。
その後、新たに思いついたのは調音結合の問題である。

私は工場で機械を扱う仕事をしてきたので、吃音が仕事の支障になることはなかった。
だから吃音の治療は考えなかった。
が、10年ほど前に退職し、マンションの清掃のパートをすることになった。
この仕事はただ清掃をしていればよいということではなく、マンションの住民に出会ったら「おはようございます」と挨拶しなければならない。
ところが私は「おはようございます」を苦手としており、1音も発することができないこともあった。
それで発音練習を始めた。
その練習法は前記したようないろいろな考えに基づいている。
その期間は覚えていないが、せいぜい1、2か月くらいではないかと思う。
少なくとも私の場合、その効果はあった。
しかも効果はかなり持続した。