吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

連発について (2)

最初に、正常な発音/ta/の生成過程を考えてみる。
その生成過程は大まかには次の3つからなると思う。


まず、呼気圧を少し加えつつ、声道を閉鎖する。つまり、舌端を歯茎につけて呼気の
流れを阻止する。
この時、口蓋帆をもち上げ、呼気が鼻腔に抜けることをも阻止する。
この時、声門も閉鎖されるかどうかについては、私はわからない。これは個人差があるかも知れないが、私の場合は声門も閉鎖しているように感じる。

次に、声道を一気に(破裂的に)開き、呼気を解き放つ。つまり、舌端を歯茎から引
き離し、呼気を解き放つ。
この時、私の感じでは、声門も開いている。
これが/t/ではなく/d/であれば、声門はゆるく閉じているかも知れない。
 /d/のような有声破裂音では、声門がゆるく閉じていても、口腔内にたまっていた空
気が破裂的に放出されるのかも知れない。

次に、声門をゆるく閉じ、流れる呼気で声帯を振動させる。
これで/ta/の母音部分/a/が出る。

典型的な連発である/t(a)t(a)t(a)/では、母音/a/が欠落し、/(a)/に置き換わっている。
これは上記 ③の過程で、声門を開きっぱなしにしているために、呼気が声帯を振動させることなくそのまま放出されてしまうことを意味している。

通常の発話では、/t/の継続時間は0.07秒くらい、後続母音/a/の継続時間は0.12秒くらいとされている。
これから想像すると、②から③に移る時に声門をゆるく閉じる動作のタイミングの許容幅は非常に狭いと思われる。
その許容幅はおそらく1/1000秒のオーダーではないかと思われる。
②の過程で、あまりに強く声門を開いてしまうと、③の過程ですばやく声門をゆるく閉じる動作が遅れてしまうのかも知れない。
そのタイミングがわずかに遅れるだけで、脳は失敗を感知してしまうのかも知れない。
吃音は発話運動を精緻に制御し、わずかなミスを感知する機構が脳に備わってから発生する、と私は思っている。
発話運動は各筋肉を動かすタイミングの許容幅が非常に狭いむずかしい運動であることは注意しておくべきだと思う。
私たちはそのことをあまり意識せずに話しているが、それは脳の自動制御機構の助けを借りているからに他ならない。

人には器用不器用がある。
人は同じ条件をもって生きている訳ではない。
微細なレベルの失敗を起こしやすい人もいる、と考えるのが自然ではないだろうか。

以上から、/t(a)/の連発は③の過程で声門をゆるく閉じる動作のタイミングを逃したことをきっかけに発生する、と私は思っている。
その失敗をきっかけに、同じ失敗を繰り返す現象が2次的かつ反射的自動的に発生する、と思っている。
何故同じ失敗が繰り返されるかについては、別の機会に書こうと思う。

しかし連発と見られているものには反射的自動的というよりは努力性のものもある。
柳沢(ヤナギサワ。仮称)君は自分の名前をいう時、機関銃のようなスピードで「ヤ」を連射していた。
彼に「その連発は反射的に起きているのか?】と訊いたところ、「いや。ヤの次のナギサワが出てこず、難発になってしまうから、あえて難発を避けるために声を出し続けるが、するとヤの連発になる」と答えた。
連発と見られているものには、このように難発から2次的に発生する努力性の連発?もある。

吃音者は吃音を何度も経験すると、苦手な言葉を話す時、吃ることを予期するようになる。
心理学者は吃音の予期を吃る恐怖や不安のような情緒的なものと捉えたがるが、私の体験では、吃音の予期はさほど情緒性を帯びていない。
吃ることを気にせず、吃ってもよいと考えている者は、そもそも吃ることを怖れていない。
しかしそういう私でも吃音を予期するとほぼ確実に吃りやすい。
私の解釈では、吃音の予期の中核にあるものは、語頭の音を意識すること、あるいはそういう運動イメージをもつことである。
運動イメージは諸筋肉をととのえる役割をもっている、と私は思っている。
柳沢君は、自分の名前をいう時、語頭の「ヤ」を意識しており、語頭の「ヤ」をいう運動イメージをもっている。
この状態で難発になっている時、難発に抗して無理に話すと、「ヤ」しか出ない。

私の体験では、語頭の音を意識すると、難発になりやすい。
ちょっと本題から外れるが、努力性の連発?について書くためにこのことに触れておく。

本来、「ヤナギサワ」は「ヤ」をいってから「ナ」をいい、「ナ」をいってから「ギ」をいうというような進み方をしない。
聴覚はヤナギサワの各音を分離して認識するが、筋肉の運動のレベルでは、各音を発する運動は融合しながら進んでいく。
「ヤ」をいっている最中に「ナ」をいう準備的な運動を開始しているし、「ナ」をいっている最中に「ギ」をいう準備的な運動を開始している。
このように各運動が共存しながら進んでいく。
こういう調音結合があって初めて発話運動は1拍の継続時間が 0.15~0.2秒の通常のスピードでなめらかに進んでいく。
そもそも「ヤナギサワ」を不可分の融合体と捉える運動イメージをもっている時と、語頭の「ヤ」を分離して捉える運動イメージをもっている時とでは、最初の音を発する直前の諸筋肉の状態が違っている、と私は思っている。
脳は「ヤナギサワ」を発する直前の諸筋肉の状態を感知し、それがなめらかな発話運動に適した状態かどうかを判断している。
発達した吃音者の脳は、話す直前の諸筋肉の状態が失敗していると判断すれば、その失敗の状態を反射的自動的に継続させる。
私の考えでは、これが難発である。
難発を避けるためには、調音結合にかなった運動イメージをもって諸筋肉を事前に適正に整える必要がある、と思う。

なお、難発から2次的に伸発が発生する場合もありうる。
柳沢君はヤを連発するのではなく、「ヤーーー」と引き伸ばす伸発になることもありえた。
連発では拍の等時性を守る働きが保たれている。
つまり1拍の継続時間が 0.15~0.2秒になるような制御が働いている。
しかし伸発の「ヤーーー」ではそういう制御が崩れている。

無声摩擦音で連発は起きるか、またDAFによる吃音では無声破裂音も連発になる、ということも問題になる。
これらについてはいずれ書こうと思う。

ここでは、連発はある失敗をきっかけに2次的に発生する、しかも同じ失敗が繰り返される形で発生する、という考え方を書いた。
いや、連発に限らず、伸発も難発も失敗をきっかけに2次的に発生するもので、それは同じ失敗が継続する形で発生する、と私は考えている。