吃音ノート

吃音および関連分野について考えます

素人が吃音研究に首を突っ込むことについて (1)

現在、吃音の原因・仕組み (機序) は明らかになっていない。
それにはそれ相応のもっともな理由があると思う。
吃音はとらえどころのない特徴があり、科学の俎上に乗せにくい。
一方、研究する側にも戦略上の失敗があるかも知れない。
たとえば、吃音を引き起こす脳の部位には欠陥があるという先入観をもつと、研究を不当に狭めることになるかも知れない。
観測しづらい微細なレベルのミスに対して正常な部位が通常の機能で反応して吃音を引き起こしているのかも知れない。
こういう広い可能性をも視野に入れる戦略をもって進むべきではないだろうか。
私は吃音研究の専門家ではないが、素人ながらにそう思う。

若い頃、「吃音の本質」(矢野貞二著)を読んだことがある。
それはいわば吃音研究の素人が吃音研究にたずさわる専門家、より正確にいうと吃音を心理学的に研究する専門家を痛烈に批判 (罵倒) する本だった。
私も心理学に好意的でないが、ただ、彼よりは紳士的な書き方を心がけるし、彼の文は抽象的哲学的?で、具体性に欠けると思った。
私が知りたいのは、脳から筋肉にいたる神経科学的過程だが、「吃音の本質」にそういう記述は見当たらなかった。
矢野氏によると、吃音はたんに起きてしまう失敗である。
これは吃音を説明しえているだろうか?
私の考え方では、「吃音の本質」は吃音の本質を何ら示しえていない。

では、素人の私が神経科学的に吃音研究にかかわることはできるのだろうか?
素人の分際でそういうことをするのは身の程知らずではないのか?
もちろん素人には限界がある。
しかし何もできないということはないと思う。
できることとできないことがあると思う。
それについて書こうと思う。

1.自分の吃音を観察できるということ

私は吃音者だから、自分の吃音を観察できる。
私は非吃音者が吃音を理解するのはかなり難しいのではないかと思っている。
もう数十年前だと思うが、フランシスJ.フリーマン & 牛島達二郎による「吃音時の喉頭筋活動」という論文を読んだことがある。
*私が読んだのは、おそらく、Freeman,F.J.&Ushijima,T.(1978):Laryngeal muscle activity during stuttering.
Journal of Speech and Hearing Research,21,538-562.
の和訳だと思う。

それは吃音者の吃音時の喉頭筋を観察すると、正常な発話運動ではとても考えられないような喉頭筋の不規則で異様な活動が見られたというものだった。
それは非吃音者が見ると信じがたいようなショッキングな発見と思われるかも知れない。
私はこういう身体に即した研究を支持するが、ただ、この論文を読んでも驚かなかった。
問題は、喉頭筋の不規則で異様な活動は吃音そのものを示しているのか、それとも吃音から派生した2次的現象を示しているのかということだと思う。
吃音者はとくに難発があると、それに抗して無理に力んで話そうとするが、すると筋肉の動きに混乱が生じやすい。
これは脚を自由に動かせない人がもがいて脚をばたばたさせるようなことではないだろうか。
つまり、観察された喉頭筋の不規則で異様な活動は、吃音そのものではなくて、吃音から派生した2次的な現象ではないかと私は思う。
自分の吃音を観察するとそう思われる。

書くとどうしても長くなるので、分割することにした。
すでに書いた文も、読み返してから書き直すかも知れない